おじちゃんは強かった。
3.11地震の直後に連絡が取れたきり、1日が過ぎ、2日が過ぎてもどこにいるか
解らなくなったおじちゃん。
おじちゃんの家は、海からは大分離れていた、でも、まさか?
従姉達が、ぎりぎりのガソリンで現地に向かった。
おじちゃんの家一帯、一面海になっていて近づくのが容易では無かったらしい。
たまたま車に積んであった双眼鏡でその辺りを覗くと、大きな白い旗が青空に大きく
揺れていた。
「いたいた、旗振ってる!」
従姉達は、瓦礫と海水の中を、おじちゃんの所に向かった
おじちゃんの家以外、お隣さんも、お向かいさんも、皆流され何も無い。
皆、無事なのか・・・。
一階は水没、二階に?
おじちゃんも、おばちゃんも居ない。
あるのは、物干しざおに掛けられたシーツ(おじちゃん作の白旗)、魚の缶詰、薬、それだけ。
でも、二階に浸水の跡が無いし、きっとおじちゃんはここに居たはず。
そして数日後、おじちゃんは避難所に居る事が分かった。
おじちゃんは、チリ地震の津波を経験していた。だから、二階に駆け上がる選択をしたのだと言う。
おばちゃんには、昔、漁をしていた時の1着のライフジャケットを着せ、「もしも屋根まで海水が来たら身体の力を抜いて、上を向け。俺は泳げるから大丈夫」
そして7回くらい満ち引きを繰り返し、海水が二階まで上がる事は無かった。
遠くの方で、遭難した船の救助で自衛隊のヘリが、何度も行き来するのが見えたらしい。
それでおじちゃんは、シーツの旗を何度も何度も振った、「白旗を振っている様で嫌だったけど、仕方なかった」・・・と。
・・・おじちゃん凄いよ。
夜が明けて、一階の仏壇から、おじいちゃんとおばあちゃんの位牌をさがして、完全に引いていない海水の中から、避難所に向かった。位牌は見つからなかった。